「今日もよく頑張った さあ ゆっくりしよう」とベッドに入った後
窓から神経ガスサリンがじわ~っと流れ込み
息苦しくて目を覚ました時にはすでに身体は動かない
そんな恐ろしい出来事が戦時下でもない日本で起きてしまった松本サリン事件
1994年6月27日
またエアコンを入れるには早い季節
多くの人々は窓から冷気を取り入れていました
翌年の地下鉄サリン事件よりも
この事件の方が
鮮烈に記憶に残っています
狂った兵士によって戦争を仕掛けられた
そう感じました
ところが警察は農薬を所持していたという理由で一市民に疑いを向け
一向に方向変換できない!!!
マスコミが科学者に意見を問い
方向変換したのちもなお
警察の無学さが露呈した感あります
なぜ 学生時代優秀だった人たちが
むさくるしい教祖の呆れた教義にはまってしまったのか
当時は全く理解できませんでしたが
今ならなんとなくわかるような気がしないでもありません
この世界に居場所がなくて
何でも許してくれ
受け入れてくれ
誉めてくれる世界が欲しい・・・
だったのかもしれません
自分の弱さ 無力さに気付いたから
超能力 欲しいと思ったのかもしれません
狂気は集団の中で開花するのですね
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まだ被害に遭った家の方が犯人扱いされていころかなぁ
またオウムの信者が始めた広尾のパソコンショップも仕事柄よく店の前を通っていました。(村井さんだったか刺殺された現場です)
地下鉄サリン事件では日比谷線で通勤していた会社の方数名が被害に遭われました。
事件当日は営業の仕事で大学病院の研究室にいて居室の先生方が運び込まれてくる患者の様子に当初原因がわからず不思議がっていた記憶があります。
権力に対する善良な市民の戦いのつもりだったのかなあと思っています。
わたしの時代感覚がずれていますが、学生運動で政府と対峙していれば
あのようなことはなかったのではないかと。
今でもそうです。
お気の毒で、なんといっていいかわかりません。
宗教は教祖が狂人だと大変なことになりますね。
大人になってから、ヒトに褒めてもらったことがないので、ふと寂しくなる時がありますね。そんな心の隙間に入り込んでくる狂った世界に導かれないように、仲間や個人的な友人や、仕事の友人と。連絡をかかさず取りあっています。
自分は大丈夫と過信せずに、友人たちに見守ってもらっています。
本当に想像を絶する事件が起きたものです!